通奏低音その1 [奏法]
チェンバロのレパートリーの中で、ソロよりも多くの割合を占めるのが、通奏低音である。
もちろんソロの作品も多いのだが、他の楽器の独奏曲、トリオなどのアンサンブル曲、またオペラなど、他の楽器たちとのアンサンブルに通奏低音という低音楽器による旋律が寄り添っている。このラインは、低音を受け持つ、チェロや、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ファッゴットと、その旋律に付けられた数字で示されている和音を任意に足して演奏する、和音楽器で演奏される。
この和音楽器の代表選手がチェンバロというわけである。チェンバロ以外では、リュートやテオルボ、オルガン、ハープが受け持つこともある。
その為に、小編成のアンサンブルや、バロックのオーケストラ、オペラにはチェンバロが登場することになる。
これが宗教作品になると、オルガンが指定されていることが多い。これは、オルガンの持つ宗教的なイメージが、逆にいえば、布教の一端を担ったオルガンの存在からくるものであろう。
チェンバロが入ったアンサンブル曲は、それに対して、ぐっと世俗のイメージが強い。
こちらは、トリオの形 ヴァイオリン2本と通奏低音(チェロとチェンバロ)。4人でもトリオという名になるわけです。
一方これは、幾分大きな編成で、合奏協奏曲の編成 ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロというソロ合奏と、合奏ヴァイオリン2、通奏低音群(コントラバスとチェンバロ)
ちょっと話がそれたけれど、チェンバロを演奏する上で、この数字で表された和音を知っていること、これを見て瞬時に和音を演奏することが、不可欠な技術となる。
数字でのみ表されている為、その和音を軸に、音の数や、アルペジオの種類、任意に旋律を和音に乗っ取って入れていくなどは、奏者に任されている。
これが、楽しくもあり、大変でもある。また、チェンバロ奏者のこのラインの弾き方によって、曲の印象も異なる場合もある。大きな編成の場合は、あまり大きくは影響しないのだが、小さい編成になっていく、もしくはオペラなどのレチタティーボ(語り歌い)の部分はそれがはっきりしてくる。
そういう側面を考えて、聴いてみると、演奏会やCDも楽しみが増す・・・あ~自分の首をしめているかも・・・。
次回は、この通奏低音自体について書きましょう。
フレージング [奏法]
この間、くせものアーティキュレーションについて書いた。
今日はフレージングについて。
これを辞書で調べると、言葉使い、言い回し、表現法・・・とある。
これも、チェンバロを演奏する上で大事な事である。
チェンバロを最初に習うとアーティキュレーションに気を取られるあまり、フレーズのことまで頭が回らなくなる。
すると、抑揚のない、電子の声のような演奏になる。それぞれの言葉の意味は明確だが、どこで、文章が切れ、肯定なのか、否定なのか、疑問形なのか分かりにくくなる。
コンピューターの言い方をまねして話してみれば良く分かる。
「今日・は・良い・天気・なので・朝・から・洗濯・を・するつもりだけれど・雨・が・ふる・かもしれない・ので・やめたほうが・良い」
これは、このままではこの人の考えだと思ってしまう。
が、これは、本当は疑問形かもしれない。
この答えは、和音にある。
和音のつながって出来たものをカデンツ(終止形)というが、この連結によって出来る音の流れが答えをくれる。
難しくなるが、終止の形にはいくつかある。
1.完全終止
2.アーメン終止(変格終止)
3.半終止
1と2は主となる和音で終わるので、文でいえば肯定の形。
3は属音という、いわば中途半端な和音で終わるので、これは疑問形となる。
というように、文の流れつまり、句読点の場所と文の形(肯定か疑問か)を、掴んだ上で、初めて文章の切れ目と意味が明確になり、この流れを音楽の上で行うのがフレージングという。
アーティキュレーションとフレージングを意識して、自然な抑揚をつけて演奏する事を「テンポのドライブ」といったりするが、これが、演奏上の重要な事となる。
この2つが、うまく絡んだ時に、すばらしい演奏が生まれる。
と私は思う。 また、難しい話でごめんなさい。
アーティキュレーション [奏法]
チェンバロの重要な奏法にアーティキュレーションがある。
辞書をひくと、関節という意味と、明瞭な発音、文節、明確な表現…などと出てくる。
鍵盤楽器の一番有利な点は、かなり楽に複数の音を出せる、小さい幅で、大きな音域を演奏できるという事が上げられるが、その反面、音を作る、音楽の輪郭をはっきりさせる、音域の幅、などを演奏していても、意識が行きにくくなるという欠点がある。
というのも、指で鍵盤を押せば、簡単に音が出てしまうからだ。
チェンバロの場合は、音の強弱は、大きな意味では、出せない。
その為に、画一的な音が出てしまいやすい。そこで、この「アーティキュレーション=明瞭な発音」が重要な奏法となってくる。
具体的にいえば、音をつなげるのか、切るのか、どのくらいそうするのか。と言う事になる。
ヴァイオリンの場合は弓の動かし方、管楽器で言えば、タンギングにあたる。
これが舞曲の場合は,比較的やりやすい。3拍子であれば、1拍目をはっきりさせれば「強弱弱」というリズムが生まれ3拍子が明確になる。チェンバロでこれを表現する場合は3拍目の長さを短くきり、1拍目との間を空けることによって1拍目が明瞭になる。
たとえば
バナナ・りんご・みかん・・・という言葉を明瞭にしゃべるようにすれば良い。
これが、途中間違えて
バナナ・りんごみ・かん・・・なんてなってしまったら、途中は4拍子になってしまうし、意味の分からない言葉をしゃべる、または舌足らずなしゃべり方になってしまう。
しかし、舞曲ではない場合は、その時代の様式感や、作曲家の意図した事に当てはめながら、「良い趣味」でもって、このアーティキュレーションを選択していくことになる。
これが、演奏家によって、演奏の輪郭や、しゃべり口が変わる大きな要因になっている。
こちらは、少し長めの文章を例に挙げると分かりやすい。
「きょうしつおんがくはなし」という言葉があったとする。
これは「教室音楽話」または「教室、音楽は無し」はたまた、「今日、室温が9は無し(ちょっと意味不明)」かもしれない。
この判断は、その前後の話や、そのときの話題、でかなり分かってくる。音楽もその為に、この音の背景にはなにがあるのか、何を意図してのかを探せば、ある程度の答えが出てくるものである。
そこで、様々なことにアンテナを伸ばす必要がある。
アーティキュレーション・・・これが演奏上のくせものです。