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ブクステフーデに関する講座 [音楽史]

今年はスカルラッティの没後250年の年ですが、没後300年となるのがドイツ、リューベックの聖マリア教会のオルガニスト、作曲家の巨匠、ブクステフーデです。

彼の演奏を聴いた、若きJ.S.バッハが衝撃を受け、リューベックの地に3ヶ月も滞在し、その当時仕えていた領主の怒りをかったという話は有名です。

そのブクステフーデの話を中心にバッハと比較して話され、実演も入る講座が、武久源造氏によって開催されます。今日はその後紹介。

この武久氏は盲目です。チェンバロを始めたのは、私とほぼ同時。恩師も一緒で、始めたときは電話で、楽譜の音を読み「・・・ド、ファ、ミ、次は4分音符でソ~・・・」なんて言いながら伝えた事もある。でも、それを一回で覚える。「すごいね~」というと「そりゃ、記憶力と、胃腸の丈夫さ、体が強靭でないと、全盲はやっていけないよ」って言っていたのが印象的だった。それから、早20年以上たって、彼はすっかり有名になった。かれの創造力あふれる力強い演奏と、説得力ある話しっぷりにはいつも恐れ入っている。

    

そんな彼が、彼の古巣である「古楽研究会」の催し(11月23日オリゴの秋)に登場してくれる事になったのがこの講座です。
で、その講座に向けての彼のコメントご紹介しよう。私も今から大変楽しみです。

「全く違うのです!!ブクステフーデとバッハ。生きた時代も僅か50年しか離れていない。活躍した場所 も、殆ど歩いて行かれるほどの距離。それに、バッハはブクステフーデの弟子と言っ てもいいような立場。それが、音楽はこれほどまでに違う。修辞法、調律法、テクニック…。何もかもが異 なる。 しかし、一方、バッハは、その生き方において、 ブクステフーデを模倣しようとしま した。そして、ある意味、それに失敗したのです。むしろ、ブクステフーデのように なれなかったところから、バッハの道が始まったとも言えるでしょう。
  そして、両者とも、晩年には、それぞれに異なる種類の悲しみを感じていました。
しかしそれは、本当に悲劇だったのか。いや、そもそも、音楽家にとっての幸せとは 何でしょう。
 本レクチャーでは、ブクステフーデ、バッハ、そして、今を生きる我々について、音 も交えつつ、熱く語りたいと思います」。
武久源造

詳細はここをごらん下さい。
http://www.sougakusha.com/event/index.html


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重要な人物 [音楽史]

ちょっと健康に問題があってアップ遅くなりました。

問題って・・・この年になって喘息がでました。
今年はすぎ花粉によるアレルギーがひどく、アレルギーの薬に依存することが多かったのですが、その薬も無くなった頃、夜中に咳き込むことが増え、そのうちに、咳のために寝られなくなりました。

ヒューヒューゼロゼロという娘がよくだしていた音が気管支でなり、まったく寝れない。

で、困って医者に行くと、医者も「う~ん」という感じ。
喘息の薬をもらい飲んで数日、やっと良くなってきました。寝れない、咳き込むということが体力を奪っていきますね。よく寝たとたん、元気になりました。

今日は、もうすぐ来日するイタリア、ナポリのチェンバロ奏者、エンリコ・バイアーノ氏にちなんで、ナポリの16-7世紀の事情を。

ナポリはこの当時ナポリ王国から、フランス・スペインの争いに巻き込まれ、スペインの属国となりました。
その結果、多様な人種、貴族、宗教が流れ込んだ為、多くの寺院、教会が連立したのです。

そんな中、音楽が独自の個性をもって発展したのもこの時代です。

根っからの音楽好きということもあるでしょうが、これを発展させる場所が確保されていた事も理由のひとつでしょう。その場所は、王室礼拝堂とアンヌンツィアータ教会でした。

さらに、音楽好きの重要な人物として、サレルノ公フェッランテ・サンセヴェリーノそして、一番名高いヴェノーザ公カルロ・ジェズアルドが挙げられます。

     ジェズアルド

彼は、ナポリ音楽を語る上で、必ず登場します。
自らも作曲をし、その個性豊か・・・変わっている・・・作品もCDできくことが出来ますし、音楽辞典をみれば、功績も分ります。

でも、犯罪史上、今も、ナポリで語られている人物でもあるそうです。

不貞を働いた妻と、その愛人を惨殺し、さらに、次男(赤子)の目の色を見て猜疑心にとらわれ、命を奪ったという。貴族ゆえに罰せられることも無かったようですが、晩年は孤独からか、躁うつ病に悩まされながら、この世を去ったそうです。

音楽だけに目を向けていると、彼のような重要な人物は、きっと崇高な人間であったかのように思いがちです。が、感情の部分を知ると、人間臭さが匂ってきて、時には、安心したり、身近に感じたりしますが、この人の場合は、恐ろしさを感じますね。

そうすると、彼の残した、半音階の使用は、不気味さとともに、人間の悲しさや生生しさが、現実味をおびて、こちらに語りかけてきたりするのです。


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